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虎龍山 吉祥寺

虎龍山 吉祥寺
 吉祥寺開山400年の歴史に思いを馳せますと、吉祥寺 開基家前川善兵衛 様が三代にわたり 建立して下さった本堂が明治42年の焼失や、津波や自然災害、戦争などの幾多の困難を乗り越えてきました。
 皆様のご先祖様が心と力を合わせ、本堂の再建や環境整備などの護持に努めて下さったおかげで今の吉祥寺があります。
ご先祖様から命をつないでもらっていることを忘れないための場所が 吉祥寺の本堂ではないかと思います。
 お寺は何をする場所なのかと問われることがあります。たくさんの役目がある中でも一 際大切なことは、「自分自身の生き方を考える場所」なのです。
自分の生き方に自信がなく、周りの声に振 り回され、自分自身を見失ってしまう私達ではありますが、仏教のお釈迦様の教えは、「迷いや苦しみの人生をどのように幸せに安心して生きてゆけるか」一度きりの人生をしっかりと生きてゆくための教えなのです。
  これからも、吉祥寺は生きている人の幸せを祈り、頂戴した命を大切に生きてゆく事ができる場所にして参ります。                                           
   
吉祥寺住職 高橋 英悟 合掌
かたちあるものは
私達の容姿や心も常に変わり続けてゆきます。本堂や杉の木や公孫樹も「諸行無常」の教えを私達につたえてくれているのです。たとえかたちを変えても私達を見守り続けてくれることでしょう。
これまでの歴史をしっかりと記録をして、後世に伝える事業にしてゆきましょう。

生きた証
生きた証記録集 巻頭言より
生きた証プロジェクト推進協議会 会長 髙橋 英悟
今でもふと、あの日のことを思い出すことがある。あれから6年という月日が経とうとしているのだが、東日本大震災の津波の襲来は夢であってほしいと思い、早くこの悪夢から覚めないかと錯覚することがある。今まで当たり前のように見ていた町並みや人々の日常の営みが、一瞬にして奪われた。私自身、頭の中では無常という言葉を理解しているつもりではあったが、言葉や文章では表現することが到底出来ない、まさに地獄を目の当たりにしたのである。
突然私達の前からいなくなってしまった人に「ただいま」と戻ってきてほしい。さようならも言えずに別離を余儀なくされてしまった大切な人にもう一度会いたいと切に願い、日々悲しみに向き合い続けているご遺族の皆様がここにはいるのである。
東日本大震災で犠牲になられた方々は、生前と変わらずに私達の心の中で生き続けている。たとえ姿形として目の前に存在していなくても、共に過ごしたかけがえのない日々の記憶は、遺された私達が明日へ生きてゆくための希望の力になり得ると思う。震災の津波により紙一重で生き残った私達には、やらなければならない役目が
あるのではないかと思う。生きたくとも生きることが出来なかった命のために犠牲になられた方々の分まで私達がしっかりと命の大切さを肝に据えながら、生きてゆく事が供養につながってゆくのではないかと考えさせられるのである。
私が『生きた証事業』に携わるきっかけは、前町長碇川豊氏から「多くの町民が犠牲になってしまった。大槌町として御霊を弔いたいと思っている。犠牲となられた方の記録を残すことをどう思うか」との問いであった。戒名の中に生前の様子や人柄を織り込み生きた証を遺していること、津波を知らないまだ生まれてきていない将来の世代の為に、津波犠牲者の尊い命の記録が津波の威力を伝え、やがて人々が忘れてしまうであろう津波の脅威から後世の命を守る行動を起こすきっかけにつながってゆくと思い、是非ともやらなければならない大切な事業であると考えたのである。
町内にある数々の津波記念碑や供養塔が月日の経過と共に存在感が薄れ、避難行動に結びつかなかった反省を活かすことを鑑み、行政として町民の生前の様子と人生を記録し後世に伝えてゆく事が結果として「犠牲者を弔い、生き残った命を生かし、将来の命を守ることにつながる」ことになると信じ、生きた証の記録誌発行に希望
と願いを託すことにし、委員長の職を引き受けることにした。
困難を極めることは予想されたが碇川氏は陣頭指揮を執り、世界でも例がない町内犠牲者全員の記録を残す事業が始まった。
平成26年3月20日、大槌町生きた証プロジェクト実行委員会の準備会が開催された。準備会では、様々な課題や大切な方を失った住民の心情などに配慮した事業にするための方法が慎重に議論された。事業の目的として、1、「わすれない」2、「犠牲者の供養」3、「災害記録の継承」を三本の柱として推進してゆく事が決まったのである。
実行委員には町内会の代表や地域の実情をよく知る住民、町議会議員が委員に委嘱され、大槌町総合政策課が窓口となり、官民一体となった一大事業が平成26年5月20日に正式に始動したのである。
実際にご遺族への聴き取り調査を進めるに当たり、様々な問題が立ちはだかった。大槌町では震災関連死を含め震災犠牲者1,285名、行方不明者420名、ご遺体との面会もままならず大切な方の死を受け入れることが出来ないというご遺族も多かった。震災当時のことを思い出したくない、お話ししたくないと拒む人も多かったのである。しかしながら大切な家族を亡くした上野ヒデ氏や煙山佳成
氏、小林一成氏が実行委員に委嘱されており、家族が犠牲になりながらも生きた証事業の大切さを自ら説き、ご遺族への説明と協力のお願いに奔走する姿に涙を禁じ得なかった。
聴き取り調査が手探りになると予想された中で私達の精神的な支えとなったのは、朝日新聞社の『大槌の100人生きた証し』、岩手日報社の『忘れない』の二つの新聞記事であった。ご遺族の悲しみに寄り添いながら取材を続けていたマスコミ関係の皆様、特に朝日新聞社編集委員東野真和氏からは特別に力添えをいただきました。出版に際し、朝日新聞社記者星乃勇介氏のご尽力にも感謝申し上げます。情報提供に力を貸してくださった大槌新聞社社主菊池由貴子氏にも支えていただいたことを忘れられない。また、ご遺族への聴き取り調査、原稿執筆、校閲の作業において多大な貢献をいただいた岩手大学麦倉哲氏、都市防災研究所吉川忠寛氏、東京大学久保田亜矢氏、プロジェクトに関わってくださった皆様には衷心より感謝を申し上げたい。生きた証プロジェクトの企画立案から始まり、関係各所の調整やプロジェクトの進行に精神的支柱としてご尽力賜った但木汎氏には実行委員会一同を代表して深甚なる謝意を申し上げたいと思う。
この回顧録は、辛い記憶をたどりながら協力を賜ったご遺族の皆様の思いが詰まっております。この場をお借りしてご協力に感謝を申し上げます。また、事業の大切さをご理解賜りご支援をいただいた世界中の皆様に、この場を借りて御礼申し上げます。兵庫県立芸術文化センター芸術監督の佐渡裕様、風に立つライオン基金様、さだまさし様より賜りました物心両面のご支援に篤く感謝を申し上げます。
この震災を通じて、私たちは世界中の皆様からご支援を賜り、この日を迎えることが出来ました。私達を大切に思い続けてくださる皆様へ感謝の思いを込めて、「命の大切さ」をこの記録集に載せてお届けしたいと思います。人を大切に思い続けることの大切さを恩返しとして皆様へお伝えすることができれば無上の喜びです。
この回顧録を手にとって下さった皆様も、人生のうちで悩み苦しむことがあるかもしれません。その時はどうかこの回顧録を読み直していただき、「生きる力」をお受け取りください。
皆様のご多幸を大槌町よりお祈り申し上げます。 合掌

概要

組織名
虎龍山吉祥寺
所在地
〒0281101 岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里四丁目四番七号  地図はコチラ 
電話番号
0193-44-2318
FAX
0193-44-2331
代表者
住職 髙橋英悟
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